「シン・エヴァンゲリオン劇場版」※ネタバレ有※3
今更、ネタバレ有、というのもなんですが。
一応つけときます。
AmazonPrimeで配信が始まったのを機に、これまでの自分なりの考えをまとめておこうと思います。
まとめ、ではなく、つらつらですが。
エヴァ13号機に乗っていた元アスカとは、どういう存在か。
式波アスカは「私のオリジナル」と言っていましたが。
「オリジナル」は、綾波タイプで言えば、「綾波ユイ」ですかね?
だとすれば、式波タイプのオリジナルも、もともとこの世界に存在していた「アスカ」なのか、もしくは、「誰か」なのか?
ひとつ考えていたのが、この世界の「アスカ」は、母親と一緒に亡くなっているのではないかということ。
旧エヴァでは、母親は人形をアスカと思い込んでいたけれど、こちらの世界線ではちゃんとアスカを認識していて。
結果、この世界のアスカはいなくなってしまい、2号機パイロットとしてアスカが必要であるかもしれないと考えたネルフ、もしくはゼーレの皆様により、アスカのクローンが作られたのではないか。
旧エヴァでは、母親の魂が溶け込んだエヴァとその子供であるパイロットの絆に意味がありました。
今作では、その設定が無くなっているそうなので、必ずしも母親は必要でないのかもしれないけれども、アスカのクローンを作った時点では、まだわからなかったから、母子の絆が必要かもしれないと考えていたのかも?
そう考えると、オリジナルのアスカは母親と一緒に亡くなったアスカです。
ただ、そうすると13号機の中のアスカの姿が式波と同じくらい成長していたのがなぜだかわからない。
そもそも、元アスカが13号機の中にいる理由もわからない。
ネット上の考察では、アスカのクローンは複数作られた後、次々ふるい落とされていき、2体にまで絞られたように演出されているので、その1体が式波となりもう1体がオリジナル(元アスカ)となったとしているものがあります。
でも、そういう場合、一方がオリジナル、と呼ばれる存在となるのかな。
そうではなく、破の時のアスカがオリジナルで、Qのアスカと別物だとすれば、2体ともがクローンである考察も成り立ちます。
でも、Q以降のアスカは使徒に浸食されているし、破のアスカと記憶の継続もあるし。
アスカ自身、「あのころはシンジのこと好きだったと思う」と言っているし。
破以降、アスカはずっと1体だと考えるのが合理的ですよね。
などとつらつら考えても、やっぱりアスカが13号機にいた理由が全く分からない。
カヲル君がいるのは、わかるんだけどなあ。
別件で、クローンのアスカは、初めから自分がクローンであると知っていたのかどうか、については、知らなかったと思っていたのですが、知っていたとしてもおかしくなかったかもしれないと思い始めています。
幼いころのシンジと出会っていたシーンは、メタファーかと思っていましたが、実際のアスカの記憶である可能性もあるかなと思い始めています。
ただ、あそこのはゴルゴダオブジェクト、マイナス宇宙の中なので、現実とは言い切れない。
あそこで登場するケンスケは、実はシンジであるという考察も見かけました。
ケンスケはアスカを「式波」と呼んでいるが、あそこでは「アスカはアスカだ」と言っている。あれは、シンジがアスカに、「ケンスケはアスカのありのままを受け入れているよ」と伝えるために見せたという説です。
そういえば、シンジは仮称アヤナミレイに「綾波は綾波だ」と言っていました。
このセリフが対応していると考えれば、どちらもシンジの言葉という説も説得力を持つような気がします。
シンジは、エヴァの必要のない世界を作ると決めて、場合によれば、もう現実世界に帰れないことも覚悟している。
だから、ケンスケにアスカを託した、といえるのではないか。
正確には、ケンスケならアスカを受け入れてくれるはずと信じて送り出した、かな。
マリが「姫、お達者で」と言うのは、アスカをヒロインルートから引きずり下ろしたことを意味しているというのも、言葉は悪いけど、マイナス宇宙からエヴァの世界へアスカを送り出した=シンジと同じ世界を生きていけないから、ヒロインにもなりえないということかと。
話があっちこっち行きますが、ゴルゴダオブジェクトは、現実と虚構が同時に存在する世界。
これは、エヴァの世界における現実と虚構が同時に存在する世界というのが表面上の意味だと思いますが、別の意味もあると考えています。
1番初めの感想でも書いたし、1番初めに思ったことでもあるのですが、一周回って、やっぱりそうじゃないかと思ったのが、現実=私たちが生きる世界、虚構=エヴァという物語の世界が、同時に存在する世界が、ゴルゴダオブジェクト。
神殺しの神とは、物語を作る、制作者。庵野さんをはじめとした、アニメを作る人たち。
ホリゾントにぶつかるエヴァ初号機や、カメラの映像、セットの舞台裏、そういったもろもろが、エヴァは虚構の世界であると言っていますよね。
この世界で生きるキャラクターが、虚構世界を虚構であると認識する。
それが、最後のシンジ君。
でも、いくら彼が虚構世界を認識しても、所詮は彼は虚構世界のキャラクターであり、現実世界に実態を持つことはできない。
ゆえに、徐々に色をなくし、アニメの原画となり、虚構として、この宇宙で消えていくしかなかった。
でも、消え去る前にマリが迎えに来てくれたことで、現実世界に飛び出すことができた。
エヴァの世界がすべて、今の日本のような世界になったというのが一番ありの解釈。
でも、シンジ達は駅から飛び出し、レールのない世界へ歩みだした。これは、私たちの生きる現実世界に彼らが存在しているということ。だれかのシナリオに沿って生きるのではなく、彼らが自由に進む、現実世界で生きているということ。
一方で、向こうのホームにいる彼らは、おそらくは、やってきた電車に乗って、そのホームから去っていった。別のレールに乗っかって、エヴァのない世界、こことは別の世界で生きていくということ。エヴァのない世界になった、元エヴァの世界で生きていくということ。
あの駅で、虚構の世界、エヴァの世界と、現実の世界、私たちの世界が点で結びついていた。
でも、二人が駅を飛び出した時、二つの世界は乖離し、それぞれ独立した世界として存在を始める。
さらに、別の見方をすれば、シンジは庵野さんで、ようやく庵野さんはエヴァを作ることことから解放されるというメタファー。
マリが庵野さんの奥さんであるというのは、よく言われていることですが、そうなんでしょうね。
マリのおかげで、シンジはエヴァのない世界を作っていいと思えるようになって、エヴァがなくてもいい世界を作った。エヴァを終わらせることができた。
シンジ君がぼろぼろになっていたのは、TV版の最終回のあと庵野さんがぼろぼろになったと言っていたこと(NHKの番組で)とか、Qのあと壊れてしまいましたとおっしゃっていたことと重なり、そこから立ち直ったのは、みんなが優しかったから。シンジ君の言った「なんでみんなこんなに優しいんだよ!」そして、周りのみんなが「碇君が好きだから」だと気が付いたから。
シンジ君は庵野監督で、もう庵野さんはエヴァの世界を繰り返さない。キャラクターたちはみんな、あの世界で、自分たちの思うように生きる。もう、庵野さんは干渉しない。シンジ君は、庵野さんだから。あの世界に生きている限り、エヴァの世界は繰り返してしまう。だから、シンジ君はあの世界から脱出しないといけない。そして、アスカはあくまでもキャラクターで、いうなれば、彼女もまた庵野さんの一部であるから、アスカとしてこの世界でともに生きてはいけない。アスカがシンジと結ばれるのは、二人がエヴァの世界にいるという世界線。
アスカは、庵野さんのシナリオから放たれて、自由に生きているはず。カヲル君も、もう円環から抜け出し、何も知らない一人の人間として生きているはず。ラストシーン、いつものカヲル君だったら絶対目線をこちらに向けていたはず。でも、カヲル君は一切こちらを見なかった。つまり、カヲル君はもう、一人だけ全部知っているような顔をして物語を見下ろしている特別な存在ではなくなった。みんな、自由に、新しい世界を生きていける。
みんな、エヴァの呪縛から解き放たれて、生きていけるんだなあ。
キャラクターだけど、よかったね。おめでとう。
神=制作者が、そのキャラクターの人生を創造するのをやめたら、きっと彼らは自由に生きていけるのだと思います。
一通り書いてみて、読み返してみると、まあ、読みにくいですね。
だがしかし、どう直したらいいかもわからないので、このままで行きたいと思います。