「プレイヤー」('17/8/31ソワレ)

「怖い絵」展を見に行ったその足で、森之宮ピロティホールへ行って来ました。


藤原竜也さん主演の「プレイヤー」。
共演者に仲村トオルさん。

…って、「22年目の告白」で見たお二人か!


††キャスト††
藤原竜也
仲村トオル
成海璃子
シルビア・グラブ
峯村リエ
高橋努
安井順平
村川絵梨
長井短
大鶴佐助
本折最強さとし
櫻井章喜
木場勝己
真飛聖


チラシにあったあらすじ−−−

舞台はある地方都市の公共劇場、そのリハーサル室。国民的なスターから地元の大学生まで、様々なキャリアを持つ俳優・スタッフたちが集まり、演劇のリハーサルが行われている。
演目は新作『PLAYER』。幽霊の物語だ。死者の言葉が、生きている人間を通して「再生」されるという、死が生を侵食してくる物語。

<行方不明の女性、天野真(あまのまこと)が遺体で見つかった。死後も意識として存在し続けることに成功した彼女は、友人達の記憶をアクセスポイントとして、友人達の口を借りて発言するようになっていく。事件を追っていた刑事、桜井を前に、天野真を死に導いた環境保護団体代表であり瞑想ワークショップの指導者、時枝は、これは世界を変える第一歩だと臆面もなく語る。死者との共存が、この物質文明を打開するだろうと。カルトとしか思えない時枝の主張に、桜井は次第に飲み込まれてゆく。>

物語は劇中劇と稽古場という二つの人間関係を行き来しながら進んでいく。
死者の言葉を「再生」することと、戯曲に書かれた言葉を「再生」することが重なる。単なる過去の再生ではなく、今を生き始める死者と、戯曲の言葉に引き寄せられ、アドリブで新たな言葉を紡ぎ出す俳優が重なる。
演じることで死者と繋がった俳優達は、戯曲の中の倒錯した死生観に、どこか感覚を狂わされていく。生と死、虚構と現実の境界が曖昧になっていく。時枝の狂った主張は、桜井の選んだ行動は、リハーサル室でどう響くのか。


桜井が藤原さん。
時枝が仲村さん。

あらすじにもあるように、劇中劇のリハーサルをしている設定。
そのため、「劇中劇」とそれを演じている舞台との境目が見えにくい。

役者さんが倒れると、それが劇中劇なのかどうか、一瞬わからない。
「こんな感じでどう?」的に立ち上がられて、ああ、倒れたのは劇中劇のなかの役のひとだったんだなとわかるんだけど。

どんどんその境界が見えにくくなっていって、ラストでは、本当にわからなくなる。

この作品の台本がネット上にupされているので、さっきちらっと見に行ったのですが(すみません、これでわかる人にはわかると思います。9月1日付けの日記ですが、実際に書いているのは10月です)、台本とも少しラストシーンは違うかな。
とりあえず、最後の最後、桜井のせりふに対する反応が違いましたね。

そこも含めての演出なのでしょうが、ほんと、境界の見えないお芝居でした。

「プレイヤー」
俳優は、作家の書いた台本を、作家の言葉を再生する、もしくは中継する役割の人間。

それは、この物語にかかわらず、すべてのお芝居でそうだと思うんですが。

でも、なぜ、こういう設定の物語にしたのか。
ちょっと、「リング」の貞子を思ったりもするよ。

そして、台本を見る限り…時枝は、どうなったのだろう。

wowowで放映があるらしいから、誰かに録画してもらおうかな…。
とても気になります。

怖いお話…あ、怖い絵展とつながるかw


そんななかで、勝手に楽しかったのが、藤原さんの「えっ…」。
ドラマとかでもよく見て、結構印象に残っていたので、生で見られたのがなんだかうれしかったです。