「兎、波を走る」観劇日記
NODA・MAP 第26回公演
兎、波を走る
作・演出 野田秀樹
キャスト
脱兎 高橋一生
アリスの母 松たか子
アリス 多部未華子
元女優ヤネフスマヤ 秋山菜津子
第一の作家? 大倉孝二
第二の作家? 野田秀樹
秋山遊楽
石川詩織
貝ヶ石奈美
上村聡
白倉裕二
代田正彦
竹本智香子
谷村実紀
間瀬奈都美
松本誠
的場祐太
水口早香
茂手木桜子
森田真和
柳生拓哉
李そじん
六川裕史
at 新歌舞伎座(大阪公演)
「兎、波を走る」は、知られざるコトワザである。
と、公演チラシにあったので、調べてみました。
といっても、国語辞典などではなく、ネットで。
以下、コトバンクからの引用です。
1(白く流れ飛んでみえるところから)月影が水面に映っているさまのたとえ。また船足などの早いたとえ。
2(兎は象や馬に比べ、水にはいる度合いのすくないところから)仏教の悟りにおいて浅い段階にとどまっている人のたとえ。声聞の人。
(出典 精選版 日本国語大辞典)
ポスターの右上の黄色い円は、お月さま?
キャストさん3名が映っているポスター、イラストのみのポスターと色味が同じだから、青い衣装の高橋さんは波なんかな?
赤い二つの円は、ウサギの目なんかな?
だとしたら、多部さんが兎・・・ということはないから、アリスとアリスの母の暗示なんかな?
水面の月影が、兎に見える・・・存在しているように見えるけれど、実際には存在しない兎?
アリスを載せて去った船足の速さ・・・速すぎて誰にも気づかれなかった?
等々、コトワザの意味を検索して思ったことでした。
ここから、舞台の感想。
基本、初見の舞台は、情報を入れないようにして見ることにしています。
NODA・MAPはホームページやチラシでもあらすじなども書かれないことが多いので、そこは安心なのですが、それでもTwitterなどでもネタバレを見てしまわないように。
最近の野田さんの舞台は、はじまりのコトバが謎めいて、最後まで見たときに意味がわかることがおおいような気がしますが、(もとから?だったらゴメンナサイ)今回も、兎って何? 「とりかえしのつかない渚の懐中時計」って何? と高橋一生さんの台詞を聞いて思っておりました。
次の場面で、秋山さん演ずるヤネフスマヤの「わからない!」という台詞に、きっと初見の人はみな、「うん、うん、わからんね」と思っていたと思うw
もちろん、私はわからなかったので、「さて、今回はこの台詞がどんなふうに回収されるのだろう?」と楽しみでした。
結果、「成程・・・そうだったか・・・」という思いと、そんなことを考えるほどの余裕もないような重たい荷物を最後に受け取りました。
脱兎がアリスの母に話すところや、アリスの母がアリスのことを話すところ。
最後の兎の「叶いませんでした」という台詞。
現実のアリスのお母さんやお父さんのことが頭を占拠していました。
アリスの母がアリスを呼ぶ声には、現実のお母さんの声が重なって聞こえました。
舞台を見終わって、どうしようもない重い思いを抱えて。
新潮に掲載された戯曲を読みました。
お芝居を思い起こしながら、言葉を拾いながら。
解釈、などという高尚なものはできませんが、物語の構造を自分なりに考えました。
もちろん、大きな柱は「拉致」。
でも、競売にかけられた「遊びの園」、メタバース、生成A.I.等々も、物語を構成する大きな要素だと思うんですよね。
これらは別々の問題が同時進行的に起こっているのか、それとも絡み合って一つの問題を形成しているのか。
どういう意図で、今回のお芝居に取り上げられているのだろうとか、考えると、難しいです。
また、唯一出てきた、実在の人物の名前、「安明進」について、ネット検索しました。
11月15日にあったとされていることについても、検索しました。
安明進と横田さんの面会についてや、骨のDNA鑑定についても。
そして、二度目の観劇。
あらためて、冒頭の台詞の重さを考えました。
ところどころにちりばめられたコトバにはっとさせられることも多く。
「本当は、娘だっていないんじゃないの?」
「それがわかったから君はここを出ていけなくなったんだ。」
「もう誰も聞いていないのね。最後まで聞いてとお願いしたのに。」
イタミに鈍感になるということと、痛みを真には理解しえないA.I.に関連がある?
子どもだけの国、「ネバーランド」。子供の楽園。
親から引き離されて教育される子供たち。
不思議の国、ならぬ、奇しびの国へ迷い込んだアリス。
難しい。
考えても、考えても、わからん。
いや、物語の1層目はわかるんだけど。
この物語は、何層にもなっているように思えます。
パンフレットの野田さんの言葉を読むと、チェーホフの戯曲のエッセンスがちりばめられているそうで。
最後のヤネフスマヤさんの「忘れてしまった」という台詞は、私たちが忘れていくことを示しているそうで。
確かに、こんなに重い気持ちになっている今ではあるけれども、テレビを見たり、漫画を読んだり、仕事をしたりしていたら、忘れてしまうんだろう。
アリスの母は、ずっとアリスを探し続けているのに、その痛みを、確かに知ったはずなのに、忘れてしまうんだろう。
とりあえず、チェーホフ、読まないといけないかな。
そして、そのうえで、忘れても忘れても、思い出す機会を持たねばな。
舞台装置というか、演出?としては、映像を取り入れていた点が、新しく感じました。
過去のニュースなどを映像で示す、というのはこれまでにもありましたが、登場人物を等身大の映像で映しだすのは、、、。
あ、映像になった人物は、兎と、作家たちか。
そこにも意味があるのかな。
兎は、映像を使って兎→ピーターパンを表現するのもありましたが、むしろ兎は見ようとしなければ見えない、見えてないけない存在で、最終的に存在しなかった人間とされた、「影」ということを示していたのか。
作家たちも、同様に、実体のない「影」だということなのか?
こちらも難しい・・・。
最後に役者さんについて。
高橋さん、遠目だと全体しか見えなかったけれど、最後の台詞のところ、オペラグラスでガン見していたら、全身から後悔と謝罪さえできない罪の重さが伝わってきた。
初見も二度目も、ちょっと距離があったから、細かい表情までみえなくて。
でも、「お返しすることが、叶いませんでした」からも、重い思いが伝わってきたのですが、表情までしっかり拝見していたら、最後だけじゃなく、もっと高橋さんの凄さがわかったかもしれない。
あと、アリスに「戻っておいで兎」と言われてスローモーションで戻っていくところ、身体能力すごいっていうのを一番感じたところでした。
「フェイクスピア」「2020」「兎、波を走る」と三年連続で高橋さんの舞台を拝見していますが、いずれも2階席(今回の2回目のみ1階席最後方)だったので、凄さを100%実感できていないと思います。
いつか、前方席で、じっくり拝見したいです。
松さんは、とにかく素晴らしかったのですが。知人から、兎の告白を聞いているときの表情がすごかったと聞いたので、そのときはオペラグラスでやっぱりガン見していたんです。
・・・え? 自分、泣いてる?
予想もしていなかったし、「泣きそう」とかも思わなかったのに、ぽろぽろと涙があふれたことに驚くとともに、知人の言葉に納得しておりました。
凄いわ、松さん。
そこだけじゃなくて、松さん、本当に素晴らしかった。
多部さんは、パンフレットに野田さんが「声がいい」と書いていらっしゃったんですが、うん。
多部さんの「おかあさん おかあさん おかあさん」が耳に残っている。
透明な声で、まっすぐ母を求め声。
助けを求める声。
脳内で再生すると、そのあとに「めぐみちゃん めぐみちゃん めぐみちゃん」と自動再生されてしまう。
やっと届いたあなたのコダマ。
ああ、コダマだけじゃなくて、渚の懐中時計が、届く日が、来ますように。
とりとめなく、感想を書き連ねましたが。
考えをまとめることが、難しいので、とりとめのない思いを書きました。
書くことで、思い出すように。
読み返すことで、思い出すように。