「THE BEE」ひさびさの野田地図大阪公演!

NODA・MAP番外公演

「THE BEE」

−JAPAN TOUR−


††出演††
宮沢りえ 小古呂の妻/リポーター
池田成志 百百山警部/シェフ/リポーター
近藤良平 安直/小古呂/小古呂の息子/リポーター
野田秀樹 井戸


原作:筒井康隆『毟りあい』
共同脚本:野田秀樹&Colia Teevan
演出:野田秀樹


大阪公演2日目の、14時公演に行ってきました。
座席は、後ろから3列目のM列サイドブロック。
見にくいかなーと思っていましたが、段差のある会場で、思ったより舞台も近く、見やすかったです。

会場には、ちょっと懐かしいアイドルの曲が流れていました。
知っている曲もあったけど、知らない曲も多かったなあ。

舞台は、黄土色の大きな紙が一枚。
後ろに吊されていて、そのまま床に敷かれていました。
初めはそれが紙だとは意識していなかったんですが。
紙だからできる演出で、うまく使われていました。

あと、ロールにまかれたままの白紙。
これも、紙であったり子どもになったり。

プログラムの冒頭にあった野田さんの言葉によると、「演劇にとって大事なものはテーマではない。小道具である。」
終演後、プログラムを読んで、成る程、小道具やセットを使った見立てが多かったなあと思いました。
でも、正直、読まなければそれが見立てで、重要なものだ、なんてことに気がつかなかったと思います。
それは、わざわざ「見立て」だと意識することもなく、自然にそこに存在していたから。
その自然さが、舞台の力なのだなあと、改めて思いました。

勿論、それは、小道具だけでなく、役者さんも。
映像の世界では、大人が子どもを演じることはできないが、舞台では大人を子どもに見立てることができる。
警官が、帽子を取った瞬間にレポーターになったり。
コートを脱いで野球帽をかぶった瞬間に、刑事が子どもになったり。
目の前で入れ替わりが行われているのに、どれもとても自然。
それぞれの役者さん達の力量を感じさせられました。


物語は、暴力の連鎖か。
それとも、被害者と加害者の境界の曖昧さか。

普通に生きてきた善良な一市民が、ひとつのきっかけで破壊者に変貌する恐ろしさ。
それが日常になっていく怖さ。


息子の誕生日に、プレゼントを買って帰る井戸。
家まであと少しという所で警官に止められ、リポーターからコメントを求められる。
そのリポーターと井戸のやり取りは、情報がねじ曲げられていく様も見える。

警部と井戸のやり取りは、警察の権威主義とか、被害者置き去りの姿勢とか。
それが加害者になると途端に低姿勢になったり。
「それは脅しか」「脅しの方がいいのか?」というやり取りにも警察への批判めいたものを感じました。

タイトルになっている「BEE」については、よくわからなかった。
プログラムによれば、コントロールできないもの、だそうですが。
何故、蜂なのか。
まだまだ、読みが足りません。


最後に、今回は野田さんが主役で、相変わらずの身体能力の凄さを見せつけてくださいます。
激昂した台詞も、囁くような台詞も、しっかりと客席に届きました。
宮沢りえさんは、とっても色っぽくて、綺麗で、何より脚線美が素晴らしかったです。
他にも、みなさんのスローモーションや、空気がぱっと変わるところ等、質が高くて見応えがある舞台でした。