「フェイクスピア」観劇日記('21/07/24ソワレ)
2度目の観劇。
前回の感想はこちら。
座席は前回とほぼ同じで2階席の下手側。
脚本を読んでいったこと、そして、2度目だということ。
そのため、冒頭から、「ああ、そうか」という視点で拝見できたと思います。
お話の中身と別のところでの感想としては。
高橋一生さんのコーデリア、デズデモーナ、マクベス夫人、お見事でした。
すっと役に入るのが自然で、女言葉も自然。
また、舞台で拝見したい役者さんです。
人気者だから、チケットを取るのは難しそうだけれども。
お話の感想としては、「生きて」がメインのメッセージかなあ。
「楽しんで」という言葉から、「楽」「しんで」と冗談を言ってい学生時代。
でも、そうではなくて、「楽」「生きて」と、皆来アタイが言うのは、父の言葉でもあり、この生きづらい世界で苦しんでいる人たちに向けての野田さんのメッセージでもあるのではないかな。
見える形で、無責任に書き散らかされる暴力。
それによって、絶たれてしまった命。
一方で、本当なら音に溶けて、消えてしまうはずだったけれど、箱に収められたからこそ、今に伝わる、必死に生きようと努力した人たちの言葉。
最後の最後まで、あきらめなかった人たちの言葉。
本当なら、愛しい人に言葉を残したかったはずなのに、それすら為さず、ただ、ひたすら生きるために戦った人たちの残した言葉。
ネットにあふれる暴力的な言葉と、彼らの残した言葉と、本当に価値のある言葉はどちら?
「本当に大切なものは、目には見えないんだよ」
そんなことを思った帰り道、当時の音声がYoutubeにupされていることを知りました。
まさか、私たちにでも聞くことができる状態にあるとは夢にも思わず、びっくりしましたが、帰宅後、聞いてみることに。
・・・何と言っていいか、わかりません。
本当に、最後の最後まで、なんとか生きようとしていらっしゃったのですね。
もし、2回目の観劇の前に、このYoutubeの存在を知っていたら。
きっと、2回目の観劇では立ち上がれなかっただろうなと思います。
舞台を見ながら、実際の3名の皆様を思って、号泣していたでしょう。
順番が逆でよかった。
家ではいくら泣いても大丈夫ですから。
Youtubeには、当時のニュース映像などもありました。
また、当時、機長たちが批判されたことも改めて知りました。
この音声が公開されたのは、機長たちの名誉回復を願った人たちの思いだったというのも知りました。
操縦していたのは機長だと思っていましたが、実は副機長が操縦していて、機長は適切な指示を出していたということも知りました。
観劇後、1週間ほど、YoutubeやWikipedia、「沈まぬ太陽」なども見て、いろいろなことを考えました。
必死で生きた人たちの記録。
彼らの声を、現在に蘇らせることに、野田さんが意味を見出されたのか。
少なくとも、私が受け取ったメッセージは、「生きろ」です。