「フェイクスピア」観劇日記('21/07/17ソワレ)

「フェイクスピア」

NODA・MAP 第24回公演

作・演出 野田秀樹

 

キャスト

mono・・・・・・・・・・・・・高橋一生

アブラハム・・・・・・・・・・・・川平慈英

三日坊主・・・・・・・・・・・・・伊原剛志

星の王子様/伝説のイタコ/白い烏・・前田敦子

オタコ姐さん/烏女王・・・・・・・村岡希美

皆来アタイ・・・・・・・・・・・白石加代子

シェイクスピア/フェイクスピア・・野田秀樹

楽・・・・・・・・・・・・・・・・橋爪功

 

大阪公演、新歌舞伎座へ行ってまいりました。

座席は2階席でしたが、全体が見渡せたのはよかったです。

前回の「Q」で1階前方席が当たりましたが、さすがに連続でそんな幸運はありませんでしたw

 

この日は2回公演だったからかな。

役者さんたちの声がちょっとしんどそうというか、枯れていました。

そう考えると、1回公演の日か、お昼公演の方がよいのかな。

・・・今後の参考にしよう。(抽選だから、難しいけど)

 

以下、ネタバレ入りますー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最初のシーンは、コロスとmono。

これは、よくあるパターン。

そして、ここの台詞が後で「そういうことやったか」となるのもよくあること。

 

だがしかし、次のシーンが。

いきなり「白石加代子」さんが登場する。

ここで語られるエピソードは本当なのか・・・多分、本当なんだろうけど。白石さんの個人的体験がこの脚本のきっかけのひとつであったという解説。

憑依型の役者である白石さんは、役にとりつくのは得意だが、役者になる前にやっていた(本当に?)恐山のイタコでは、死者の霊にとりついてもらえなくって、1年で見習いをやめた、とのこと。

台詞が途中から録音になるのも、後から見れば仕掛けでしたが。

この、「白石加代子」さんが登場するのは、どういう仕掛けなんでしょう。

脚本で確認したら、しっかり「白石加代子」さん役があるので。

今後、この脚本を上演するときは、ご本人でない「白石加代子」さんが登場することになるのか・・・。

その場合、「白石加代子」さんという役者さんがどういう人であったかという共通認識が観客にないと、物語が成立しないようにも思えるけれども、そもそもこの舞台の時間軸は2051年で、いまから30年後。

でも、2021年のつもりで演じても可、と注釈があって、おそらく今回の舞台は2021年。

・・・であるけれども、登場する人物の年齢からいくと、2051年で間違っていない気もする。

 

野田さんの舞台を見るといつも思うのは、舞台でしか表現できない形式の芸術だなあということです。

限られた空間で、現実に人間が演じるからこそ、できないことが多い。

たとえば、空を飛べないし、海に潜ることもできない。

あくまでも、見立て。

これをうまく逆手にとって、重層的な物語を紡ぎだしているなあと思います。

物語を見せるのではなく、物語で見せるというか。

紡がれる物語の真実は何か、ということより、その物語は何を語るためにあるのか、ということが本質であるように感じてしまいます。

 

舞台を見ている途中から、何を題材にしているかがおぼろに見えてきて、全部終わった時に、「なぜ、いま御巣鷹山だったのか」と思いました。

36年、決して区切りのいい年ではない。

 

でも、プログラムには、今回のテーマは90年代ころからずっと話していたテーマだとあって、「今」だからとかではなく、機が熟したのが「今」だっただけなのかもしれないと思いました。

前回の「Q」のなかに「山の日ってーーーー」というセリフがあったのも、今回の舞台につながっているのかもしれないし。

トランプさんや、ネット上の誹謗中傷や、形を与えられた「マコト」ではない言葉が氾濫していることも関係しているのかもしれないし。

白石さんの経歴と、今回の舞台に白石さんが出演されることとも、関係があるかもしれないし。

 

だれかが必死で発した言葉は、「音」は、形を持たないから、ここにとどめることはできない。

ネット上で形を与えられた言葉は、言ったもの勝ちで、一度形を得たら、もう消し去ることはできない。

 

「本当に大切なものは、目には見えないんだよ」

 

・・・でも、それだけが答え?

だとしたら、あまりにも簡単に見えるけれども。

どうなんだろうなあ。

 

もうすこし掘り下げて考えていきたいところです。