「シン・エヴァンゲリオン劇場版」※ネタバレ有※
シン・エヴァ、3月8日に見てきました。
平日だったので、仕事帰りです。
18:30の回と、20時以降の回が複数回設定されていました。
翌日も仕事だったから、18:30の回が一番都合がよかったのですが、上映開始に間に合うか、微妙でした。
しかし、20時以降開始だと、下手すれば帰宅時間が翌日になってしまいます。
翌日は、1年のうちでも5本の指には入るくらいの大事な仕事がある日。
そこで、最悪、途中入場になってもよい!と18:30の回のチケットを事前購入して(これ、私にしては珍しいこと! 基本は当日まで予定が確定しきらないから、当日購入です)備えました。
この回で見る、ということが前提なので、席の良し悪しは後回し。
小さめの会場で、7列目、サイド。通路際だから、多少とも中央寄りでしたが、スクリーンは全面使用で、逆サイドはちょっと歪んで見えてしまうところが残念。
それでも、ちゃんと時間に間に合って、前編見られたのだから、大満足です。
ほぼ満席(いや、本当に満席だったのかも。視認でしか確認していないから、わかならいけど、見えるとこには、全部埋まっていました)だったので、事前にチケットを買っておいてよかったです。
グッズについては、まだいくつか残っていましたが、欲しかったブレスレットは、シンジ君モデルのが1個だけで、あとは完売。その他商品も、もともとかもしれませんがシンジ君だけ残っていました。(といっても、それらも1~2個です)
シンジ君、好きなんですけども。
私の一推しは、永遠にアスカなので、アスカモデルを買わずにシンジ君モデルを購入するというのはできなかった・・・。
アスカモデルがあれば、一緒に購入もあったんですけどね。
そう、私はアスカ推し。
惣流・アスカ・ラングレーからのアスカ好きです。
式波さんも、好きです。
式波さん、いい子だしね。
でも、惣流が一番好きなんです。
ここ、大前提。
この前提のもとに、以後、シン・エヴァ視聴の感想を書いていきたいと思います。
というわけですから、ここから、ネタバレ含みます。
こんな辺境ブログ、見に来る人もいないと思うのですが、一応、言っておきます。
ここからネタバレくるよーーー!
(あ、とはいえ、そんなすごいネタバレではないかもしれない^^;)
(新劇を見た前提で、感想を書いているだけで、ストーリーの紹介とかはしていません)
※ここからが、「シン・エヴァンゲリオン劇場版」感想日記です※
※※2度目の映画を見てきて、間違っていた部分を取り消し線で消しています。直していないのは、どんな思い違いをしていたか、自分用のメモです※※
映画館を出た時に、思ったことは。
「・・・・・・・で、アスカは?」
でした。
ラストシーン、シンジ君とマリと、向こう側にレイとカヲル君と。
リアル世界に大人になって存在している二人(厳密には4人だろうけど、向こう側の2人が大人になっているのかは確認できなかったので二人)。
シンジ君的には、ハッピーエンドです。
エヴァの世界から、エヴァの呪縛から解き放たれ、この世界で生きている。
この世界に来たんだなあと。
でも、アスカは?
というか、エヴァの世界はどうなったの?
エヴァの世界の住民たちも、シンジ君たちのように、こちらに来たの?
トウジやヒカリ、ケンスケも、リツコさんやマヤさんも。
そしてアスカも。
エヴァの世界で苦しみながら、必死で生き抜いてきた人たちが、すべてリセットされて初めからここで生きてました、として私たちの中の誰かとして存在するエンドなの?
それは、幸せかもしれないけど。
エヴァの世界観によってもたらされた災害や苦しみを知らないという意味では幸せかもしれないけど。
そうやって彼らの経験や思い出をリセットして、いいの?
というか。
彼らにとって、「いいの?」というのは建前で。
「そういう彼らになって、アスカは救われるの?」が本音です。
あの世界の、あのケンスケだから、アスカは救われるかもしれないのではないの?
もし、彼らが、この世界で別の生き方をするなら、ケンスケも別のケンスケになってしまうのではないの?
そもそも、シンジ君が引っこ抜いたアスカは、どのアスカなの?
今回、式波さんが抱えているものが語られて、惣流さんとは別の意味で好きになった。
どっちのアスカも、本当につらい過去を生きていた。
つらさ、だったら、式波さんの方が上回っているかもしれない。
実の母に存在を認めてもらえなかったアスカ。
認めてもらうために必死になって、エヴァパイロットになることで自分を認められたアスカ。
エヴァに乗れない自分に価値を見出せず、心が壊れてしまったアスカ。
母に愛されていることを自覚して、ようやく生き返ったけれども、生きたまま食われてしまうアスカ・・・。
アスカには幸せになってほしい。
旧劇ではシンジと二人で生き残った時には、やっとアスカが幸せになれるかと思ったのに。
結局、幸せになれなかったアスカ。
新劇でアスカが式波になっていたとき、初めは特に気にもしていなかった。
なんで、変えたのかなー程度の軽いもの。
でも、「破」を見て、惣流とは別のアスカであるとわかって。
式波ちゃん、いい子だから、嫌いじゃないし、やっぱりアスカだから大好きだけど。
惣流ちゃんはどうなったんだろうと思いました。
しかし、今回の映画で、式波ちゃんの抱えていたものが語られて、大ショック。
式波ちゃんも、綾波と同じだったんだ・・・。
式波シリーズの中の、最高の一体。
それが、式波・アスカ・ラングレー。
生きるためには、最高の一体とならなければならない。
一番、エヴァをうまく操縦できること。
それが、式波・アスカ・ラングレーとして生きられる条件。
父親も母親も、そもそも存在しない。
母親に認められたくてエヴァに乗っていた惣流と異なり、生き残るためにエヴァに乗ろうとしていた式波。
「人」として、というか、一つの自由意志を持った存在として生きるためには、エヴァに乗るしかない。
エヴァに乗れない自分は、ガラスケースの中で出番を待ち続けるだけの「なんでもないモノ」でしかないのだから。
式波の真実が語られたことで、式波ちゃん幸せも願わずにはいられなくなりました。
そこで、あのラストです。
旧劇と新劇が、別のエヴァのままだったら、惣流ちゃんの世界はあそこで終わっていて、新劇は別のアスカの物語と割り切ることもできたかもしれません。
しかし、今回の映画で、エヴァの世界はシンジ君によってやり直され続けている(続けているのか、今回が2回目かは私にはわからないけれども。ちゃんと考察している人なら、何度目、という証拠も見つけていらっしゃるだろうから、もうちょっと落ち着いたらそういう考察動画も見るつもりです)ことが明らかになりました。
カヲル君との、TV版でも思い出のシーンも出てきました。
で?
シンジ君に引っこ抜かれたアスカは、どのアスカなの?
引っこ抜かれるとき、アスカの様相は3段階に変化したと思います。
白いプラグスーツのアスカ、赤のプラグスーツのアスカ、そして、はだけたYシャツに下着だけを付けたアスカ。
(ほかにもあって見逃していたらごめんなさい)
※これは完全な間違い。アスカはケンスケの家にいた時の寛いだ格好でした。パーカーの前をはだけて、下着のみ付けている状態。そして、引っこ抜かれたわけではなかったです※
他に、アスカに「好きだったって言ってくれてありがとう」とシンジ君がいうシーンがあるんですが、それが、例の砂浜っぽかったんですよね。
その前に、式波ちゃんが「元アスカ」に食われちゃうシーンもあるんですよね。
で。
引っこ抜かれたアスカは、どのアスカなの?
式波? それとも、惣流?
式波だったとしたら。
大人になったケンスケと幸せになれるのかも。
その場合、惣流の物語は、やっぱり旧劇で終わっていた物語となるのかな。
でも、もし惣流だったら?
惣流は新劇エヴァの世界で、居場所を得て、生きなおせるかもしれないし、惣流としてはハッピーエンドかもしれない。
でも、その場合、式波はコピーとして存在を消されるの?
いなかったものになるの?
惣流と式波と、二人(と思ってしまう)のアスカが、どちらも幸せになることは、ないの?
そんなん言うたら、綾波もやん。と言われそうですが。
綾波は、そもそも全部コピーで、そのコピーたちは別人なのかもしれないけど、「同じレイ」だとも思うんです。
林原さんが「シン」のパンフレット内で、「綾波レイという魂・・・それが黒であれ白であれレイちゃんはレイちゃんだなという。(略)根底にはつながっているものがあるという。」とおっしゃっていますが、まさにそれ。
綾波は、旧劇でも新劇でも、おなじ綾波で、根底では繋がっている。
でも、アスカは違うでしょ?
惣流と式波は、そもそも別のアスカ。
綾波とは質が違うんですよね。
ここで1個疑問があるんですが、式波のオリジナルって誰なんでしょう?
旧劇のアスカ?
いや、それは、普通に考えてないよな。
式波を作ったのは、ゼーレだったりネルフだったりするわけでしょうから、式波オリジナルは、新劇の世界に存在していたアスカのはず。
だとすれば、旧劇のアスカの新劇版、惣流・アスカ・ラングレーが新劇の世界にも実は存在していて、そのアスカが何らかの原因で命を落とし、式波シリーズのオリジナルとなったということ、なのかな?
※惣流ではなかった。エヴァの中で元アスカと対峙したとき、「式波」と元アスカのことを読んでいたので、オリジナルはやっぱり式波アスカのよう※
と考えると、幼少のアスカの場面、あれは式波じゃなくて、惣流なのか?
※元アスカが式波である以上、それはない※
両親に愛されているシンジを見て寂しさをこらえるアスカは惣流で、こっちのアスカは母親に〇されちゃったとかで。
でも、あのアスカはお人形をすでに持っていたからなあ。
あの時点で、お母さんはすでにお亡くなりになっていたかもしれない。
※惣流ではないけれども、オリジナル式波が上記のようであった可能性はあるかも?※
あの幼少アスカが、オリジナル・アスカなのか、式波・アスカなのか、そこも気になります。
式波ちゃんは、一番うまくエヴァを操れるコピーだという説明のとき、すでに14歳くらいの身体だったと思うので。
※もうちょっと幼くて、髪も肩を少し過ぎたくらいでした。でも幼少アスカよりは年上だと思うのですが・・・あのちびアスカの時点ですでに式波アスカなのかなあ※
幼少アスカが式波ちゃんの過去だとは思えないから、やっぱりオリジナルの過去なのかな。
あとは、オリジナル・アスカが、惣流だったのか、やっぱり別設定の式波アスカが存在していたのか。
ただ、あのちっちゃいアスカにケンスケが「アスカはアスカだ。それだけで十分さ」と言っているので、どんなアスカでも、ケンスケはそのまま受け入れるんだと思うと、少なくともあの世界に生きるアスカは、幸せになれるはずだと思いました。
それが、式波であれ、惣流であれ。
・・・そう。
綾波とは設定が違うけども。
アスカはアスカ。
惣流も式波も、コピーもオリジナルも。
根底ではきっとつながっている。
だから、アスカは、救われたんだと。
そう、思いたいし、そう思うことにしました。
でも、それも、アスカやケンスケがエヴァの世界で生き続けてこそ、だと思うのです。
彼らは、こちらの世界にきて、何もなかったかのように生きているのか?
これについては、私の勝手な思いとして、彼らはこちらの世界にはいない、としています。
シンジとゲンドウは、裏宇宙にきて戦っていました。
シンジたちの宇宙とは別の宇宙。
それ、ここ、じゃないのかな。
ユイが生きている世界を作る。
神ならできること。
神って、創造主のことで、つまりは、庵野さんだったり、制作スタッフだったりするのではないのかな。
エヴァの宇宙は、物語の世界。
虚構で嘘か、というと、虚構で物語だけど、嘘ではないと思う。
存在しない想像の世界か、というと、そうとも言えるけど、そうでないとも言えると思う。
作られたキャラクター達の世界かもしれないけれど、彼らは確かに存在している。
だって、私、この1週間ずっとアスカのことを心配し続けてきたんですよ?
作り出された世界かもしれないけれど、あの宇宙では確かに物語が続いていくのだと思います。
エヴァが存在しなくなり、封印柱が必要でなくなり、生き残った人々が立ち上がって復興をしていく物語が続いていくのだと。
シンジやマリが、こちらの世界にいるのは、裏宇宙に来たからではないでしょうか。
レイも初号機の中にいたから、裏宇宙にきていたし、カヲル君も13号機の中にいたからこちらの世界に存在するようになった。
ゲンドウとユイも存在できたのかもしれないけど、二人で退場しちゃいましたからね。
シンジ君は、自分ではアスカを救えないと思ったから引っこ抜いて、エヴァの世界に返した。
エヴァがなければもう、エヴァの世界に戻ることはできないから、迎えに来るといったマリを待っていた。
ラストのシンジ君は、もう、シンジ君じゃなくて。
この世界で普通に息をして暮らしている青年。
初め、声が変わっているとは気が付かなくて、でも、全然、雰囲気違う!と思ったんですよね。
おま、誰や?ってくらいに。
シンジ君だよね、だけど、なにこんな吹っ切れてる感じ?
声が変わっていると知って、あ、本当に終わったんだなと思いました。
もう、シンジ君は緒方さんではない。
声優さんが声を当てる、キャラクターではなくなって、リアルな実体となった。
そんな生々しさを感じた大人シンジ。
さてさて、ずいぶん長くなりましたが。
最後に一つどうしても気になっていることが。
で、マリって誰?
冬月さんに「イスカリオテのマリア君」って呼ばれていたよね。
回想シーンで、ゲンドウやユイと同級生っぽい絡みしてたよね。
でも、14歳の身体なんだよね。
ゲンドウたちと同世代のマリと、このマリはどうつながっているの?
少なくとも、記憶の継続はあるよね。
カヲル君みたいな特別な存在なの?
真希波シリーズとかも、実はあるの?
マリのオリジナルがこっそり作っていたとか。
「イスカリオテ」のマリアだもんね。
「イスカリオテ」といえば、もう「ユダ」しか思いつかないし。
ユイを失ったときに、ゲンドウや冬月と袂を分かった「裏切者」なのかな。
そして、「マリア」
マリじゃなくてマリア。
「マリア」といえば、「聖母マリア」か「マグダラのマリア」か。
神の子を産んだ、聖母マリア。
聖母マリアはイエスを神にし、マグダラのマリアはイエスを人にした。
(イエスの子を産んだ説にのっとれば、です)
シンジ君を神から人に戻すために来たのかな?
ユイのために?
それともほかの目的のために?
少なくとも、彼女の目的は、「シンジを迎えに行くこと」だったのは確かっぽい。
アバンでも「どこにいても迎えに行くよ・・・わんこ君」って言っていたし。
(ここ、「姫」だと思ったんだよ、流れ的に。でも、「わんこ君」だったことに驚いた。ラストにきて、それが繋がっていたんだとアバンを見返して気が付きました)
などなど、謎は尽きません。
ので。
本日、13時より2度目の「シン・エヴァ」行ってきます!
注目は、もちろん、アスカ!
映像で語られるアスカについて、しっかり見てくるつもりです。
特に、元アスカのシーンと、引っこ抜かれるシーン!
あと、パンフレットに最後に「バカシンジ」というセリフがあるとあったので、そこも確認したいです。
そして、もちろん、大人シンジをしっかり確認したい。
今回は、一番大きい部屋での上映で、いつもは避けるセンターブロックで見てきますから、初回で見づらかったところもしっかり見られるので、とっても楽しみです!
おまけ、というか、書き残し。
途中に入れようかとも思ったけど、どこに入れたらいいかわからなかったのでここで。
アスカが、シンジにお弁当のお礼を言ったあと、「あの頃、たぶんあんたのこと、好きだったんだと思う。でも、私は大人になってしまった」というようなセリフがあったんですが。
綾波がシンジの世話をすることについて、「綾波シリーズにはシンジに対して好意を持つようになっている」みたいなセリフがあって、綾波が「それでもいい」みたいに答えるんです。
今思うと、式波も同様に「シンジに好意を持つようになってい」て、そんな風に自分の感情までコントロールされていたこともシンジに対するいら立ちの原因の一つだったのかも?
それを、綾波が「それでもいい」と全面的に受け入れているのを見て、自分の感情も予定されていたものであったとしても確かに自分の気持であったのなら、「それでいい」と受け入れられたのじゃないか。
そうやって受け入れられたことも、「あんなのこと、好きだったと思う」と告げることができた原因じゃないかなと思いました。
作られた自分だけど、そんな自分もそのまま受け入れられる。
自分を自分で受け入れられた、コピーだって、自分は自分だと。
付けたしが長くなりましたが、以上で。
今日の感想は、書くとしてもまた日が開くと思います。
なんてったって、初日から、文章にまとめられるまでに1週間かかりましたからねw