「メンフィス」('15/2/7)

「メンフィス」
MEMPHIS


世界を動かしたのは いつも音楽だった。


赤坂ACTシアター
脚本・作詞 ジョー・ディピエトロ
音楽・作詞 デヴィット・ブライアン


††キャスト††

山本耕史 ヒューイ・カルフーン
濱田めぐみ フェリシア・ファレル
ジェロ デルレイ
JAY'ED ゲーター
吉原光夫 ボビー
原康義 シモンズ
根岸季衣 グラディス

BLACK
大塚俊/さけもとあきら/高橋卓爾/遠山裕介/今枝珠美/増田朱紀/森加織

WHITE
石井雅登/遠山大輔/原慎一郎/水野栄治/秋山エリサ/飯野めぐみ/小島亜莉沙


↑「メンフィス」舞台映像・コンパクトに見せ場がまとめられています!



人種差別が色濃く残る1950年代、テネシー州メンフィス。
黒人専用のナイトクラブを訪れた白人青年ヒューイ・カルフーンは、瞬く間にブラックミュージックとそこで歌うフェリシア・ファレルの歌声の虜となる。
しかし、クラブの経営者でフェリシアの兄デルレイも従業員のゲーターも白人である彼のことを快く思っていない。
ある日デパートで働くヒューイがレコード売り場で、禁じられているブラックミュージックを流したところ、レコードが面白いように売れる。
この騒動で仕事は首に。
しかし音楽が人の心を動かす様を見たヒューイはラジオ局に乗り込み、そこで働くボビーの制止を振り切り、メンフィスの町中にブラックミュージックを流してしまう。
これが思わぬ反響を呼び、気を良くした番組プロデューサーのシモンズは、ヒューイをラジオDJとして採用する。
一方、歌手としての成功を夢見ていたフェリシアも、ヒューイのラジオ番組に出演したことで、スターダムへの階段を上り始める。
ヒューイとフェリシアの間には愛が芽生えはじめるが、デルレイ達だけでなくヒューイの母グラディスも二人の関係に理解を示さない。
周囲の反対を押し切って愛を貫こうとする二人は街で暴漢に襲われ…。

  ―――以上、チラシより。


「音楽を通じてアメリカ南部の人種差別に風穴を開けた、実在するDJの半生を描いたミュージカル」だそうです。
こちらもチラシからの情報。


なんとなく、ヒューイについては、ホワイトカラーの白人青年だと思いこんでいました。
もともとDJで、フェリシアの音楽に出会って、衝撃を受けて…と、そんなお話だと。
実際は全く違って、ヒューイは文盲の貧困層の青年。
仕事もミスばかりで長続きしない、背骨のないようなぐだぐだの青年。
情けない男が、フェリシアの歌に出会って、この歌が自分のソウルだと思う。
そして、フェリシアの歌を聴かせるために、ラジオDJになろうと、…なれると思って、実際になってしまう。

自分勝手な思いこみと、自分勝手な行動で、周囲を巻き込んで。
シモンズに言われるとおり、まさに「反逆児」

この時代に、いい音楽は誰が聴いたっていい!と感性で理解し、広めていった。
おそれを知らない彼だから出来たことなのかもしれないし、それは一つの革命だと言ってもよい。

でも、おそれを知らないから、他の人々の「怖れ」を理解できない。
それが、彼の悲劇を生むのだと思います。

自分がそうだから、他の人だって同じように思ってくれるはず。

確かに、グラディスやシモンズの考えは変わったかもしれない。
直接、彼らと触れ合えば、考えは変わるだろうけど。
それを全ての人に求めることは、あまりに楽天的で。

そこが、きっとヒューイとフェリシアがすれ違ってしまった決定的な所。


以下、ネタバレあります。












テレビにも進出して人気者になったヒューイ。
デルレイの売り込みで、NYへ行くことになったフェリシア

フェリシアの望みは、もちろん、歌手として成功することだけど、もう一つ、ヒューイと正々堂々とつきあうことでもあると思う。
だから、ヒューイに一緒にNYへ行ってほしかったのだと思う。

ヒューイにもNY行きのチャンスが与えられるけど、彼はそれを自らぶち壊す。
NYへ行くのは自分だけ。白人の自分だけで、一緒に番組を作る仲間を切り捨てなければならないと言われたから。

「ここでだって、幸せだ」というヒューイ。
その幸せは、フェリシアにとっては「幸せ」ではなく。

きっと二人とも、愛し合っていた。
でも、決定的な価値観の違いは、乗り越えられなかった。

それでも、最後までフェリシアは、一緒に行こうと懇願する。
ヒューイは、メンフィスを捨てられなかった。
「俺たちがメンフィスだ」という彼の言葉は、メンフィスから離れられない彼の気持ちを体言していると思う。

白人と黒人の間にあった壁。
優位者である白人のヒューイには、その壁は乗り越えられる。
白人でありながら、黒人の中で生きられる。
「あなたはいつでも白人になれる。でも私はずっと黒人のままなの」
フェリシアには、その壁は乗り越えられない。

ヒューイもまた、白人の中で虐められ、最下層にいることを余儀なくされてきた。
母親は、ウエイトレスとして夜中も働いて生活を支える。
「とびきり」という単語を「とびつき」と思いこんでいるほどに無知なヒューイ。
「自明の理」なんて言葉、分かるわけがない。
当たり前のように文字を読むボビーと、読めないヒューイ。
差別される黒人のボビーと、する側の白人のヒューイと。
クラブを経営するデルレイと、定職に就けないヒューイと。

ヒューイが持っていたのは、ただ「白い肌」だけ。

その彼がやっと手に入れた仲間、受け入れてくれた場所。
それがメンフィス。

そこを捨てられるだろうか?

フェリシアは不幸かもしれない。
いや、不幸だ。
肌の色だけで、「モノ」として扱われる。

でも、ヒューイは?
ヒューイは、肌の色が白くて、幸せだったと言えるのか。
彼はもまた、「モノ」のように扱われていたのではないのか。

こんなに簡単に、白と黒の問題を語ってはいけないとわかっている。
しかし、ヒューイにはヒューイの、超えられない壁があったのだと、私は思う。


最後に、NYで成功したフェリシアが、すっかり落ちぶれてしまったヒューイを訪ねてきます。
このときのフェリシアは、光り輝くような自信に溢れているのですが。
何故、彼女は、ヒューイにコンサートに来て、と言ったのでしょう?
どんなに愛していても、もう二人が同じ道を進むことはない。
それは、フェリシアには分かっているはず。

もう一度、ヒューイをスポットライトの下に立たせて、彼本来の輝きを取り戻して欲しいと思ったのか。


一方、ヒューイがコンサートに来たのは…。
フェリシアに別れを告げる為なのか。
もう一度、闘うと決めたのか。


それは、全くわからないのですが、ただ、あんなに盛り上がって楽しいステージなのに、切なくて辛くて、悲しくもあったのでした。


ちょっと余談ですが、ヒューイの母は、「今夜はいない」んだそうです。
…きっと、ウエイトレスの夜勤なんだろうな、と思います。

すっかり「振り出しに戻る」のヒューイ。
衣装も、戻ってますしね。
でも、「このラジオの聴取率。聞いているのはたった一人」と言うヒューイが手にしている紙には「ONE」と大きく書かれていたのですよ。
数の数え方くらいなら、読めるのかな?
…私は、ヒューイが、あんな生活の中でも変わろうとして、字を読めるように努力を重ねているんじゃないかと、そんな希望を持っているのです。

「1」ではなく「ONE」と書かれていたことに、何らかの意味があって欲しい。

もう一度、自分の力で、輝いてくれたらいいな。
そして、輝こうと闘いを始める宣言があのコンサートだったのなら、いいなと思います。


↑この稽古場動画は、コンサートの部分。
見返すと、切ないけど、力強くて、やっぱりいいなあと思う。



いい加減、長いですが、簡単に個別感想を。


■ヒューイ
情けなくて、ちょっとイカレた青年です。
「お前が白すぎるんだよ」という台詞がぴったりなほどの「色白」。
少し「ヴォイツェク」を思い出すところも。

ダンス…というほど、しっかりしたものではなくて、ダンサーに混じってちょっと踊っている風情。
踊ろうと思えば、きっともっと踊れるんじゃないかと思うのですが、あくまでも素人風にしている気がします。
かっこいい山本さんを見たいな、と思うとちょっと残念。
(いや、十分格好いいのですが、もっと格好良くなれることを知っているから^^;)

歌は、個人的には一番今回の楽曲に合っていると思う。
それは、製作発表の時から思っていたことですが。
めちゃめちゃ格好いい。
そして、やっぱり自然で聞きやすい。

濱田さんやジェロさんや、吉原さんと混じっていても、はっきり聞こえる山本さんの声。
そして、それぞれの方々の声と溶け合って、お互いに個性を残しながら、一つのコーラスになっているのがとても心地よい。

時々、どこかに行っちゃう視線。
まっすぐにしか進めない不器用さ。
「俺って世界一の恋人だと思わない?」という時の可愛らしさ。
フェリシアにコンサートに来て、と言われて躊躇う表情。
切なくて、不器用で、イカレてて、情けないヒューイが、本当に愛おしかった。

劇団四季だらけで、やりにくいかも?なんて勝手に心配していたけど、そんなこと、全然ありませんでした。
ものすごい安定感で、素晴らしかったです。
ど真ん中であるにも関わらず、舞台を一番下で支えているかのような、安心感。
役柄だけじゃなく、凄い人だなあと、思った次第です。
これが、座長としての力と言うことなのかしら??

カテコでは、1F中程のお客さんから何か声をかけられ「え?何?聞こえない」と反応したり、最前列のお客さんの言葉にも「再演して? そういうことを決めるのは偉い人だから」と応えてくださったり。
「大変な舞台でしょ? 僕たちは、もう1回あるのでこれで!」と去って行かれたのでした。
ソワレでは、最後のカテコで、誰より早く走り去って行かれました。

カテコで思い出したこと。
濱田さんと二人で舞台奥からはけていかれるときに、マチネは濱田さんを放置して走り去り。
ソワレは段差に足をぶつけて(もちろんわざと)笑いを取って行かれました。

マチネでもソワレでも、「皆さんの手拍子からパワーをもらっています」
どちらでも、ちゃんとお言葉を下さって、お疲れなのに、嬉しかったです。

おまけでもう一つ。(カテコじゃないですが)
終盤で、衣装を脱ぎ捨てるところがありますが、上がランニングだけになると、胸板の厚さと腕の筋肉とに、「おおー」ってなります。
衣装を着ていると細身なのに、脱ぐと鍛えていらっしゃって、凄いです。


フェリシア
製作発表の時の歌は、ちょっとパワー不足に感じて、不安でした。
高音が細いというか…ブラックミュージックには聞こえないなあと。
でも、そんな不安、どっかに行ってしまいました。
いやあ、ど迫力でした。
アイーダを思い出しましたよ。
高音になると、ちょっと細くなるところもありましたが、それでも格好良さ爆発。
そして、ヒューイと出会って可愛くなるところとか、弱さもいい感じ。

上にも書きましたが、スターになって、ヒューイに会いに来るときには、自信に溢れていて、あか抜けていて、その変化が凄いなあと思いました。


デルレイ
台詞がところどころ言いにくそうなのは、仕方ない。
でも、本当に言いにくそうでした。
歌は、不思議とブラックミュージックそのものという感じは無く。
演歌の人だから、その癖が出てしまっているのかも。

この方について、不満があるとすれば、フェリシアの「兄」には見えないということ。
なんだか、若いんですよね。
「弟」だったらいいかもしれないのですが、だとしたら役所が変わっちゃいますしね。
もうちょっと迫力があるとよかったかなーと思います。


■ゲーター
父親を目の前で吊されたショックから、話さなくなった青年。
そのため、1幕ラストまで声を出さなかったんですが。
1幕ラスト「Say A Prayer」で聞かせる歌声が、心に響いてとても良かったです。
勿論、歌われた場面設定もありますが、JAY'EDさんの歌声は気持ちよく入ってきて、どの場面でも心に染みこみました。


■ボビー
前半は、ソロは少なく。
2幕、テレビに出演するようになって、歌手になってからは、見事な歌声を聞かせていただけました。
朗々と響き渡る歌声はさすがバルジャン。
声は太いのに、高音担当なのもさすが。
いつもの力強い男性とか、支えてやるぜ!てきな役所ではなくて、ちょっとおろおろしたり、ヒューイに「お前がいなくなると寂しくなるぜー」とか言ったり、普通な男性で可愛らしくもありました。
こういう役所の吉原さん、結構好きかも。


■グラディス
登場シーンの重い空気。
それまでのヒューイからは、家庭環境とか、社会的地位とかは伝わりませんでしたが、このシーンで一気にそれが分かります。
1幕のグラディスは、白人世界をのぞくことが出来る窓の役割のようです。
デパートのお客さんや、ブラックミュージックで楽しむ子どもを叱る両親からは、白人としてのあり方は伝わりますが、どういう感情で向き合っているのかはわかりません。
それを補ってくれるのがグラディスかと。
2幕ではヒューイに影響されて、ちょっと変わってしまいますが、本質は変わらず。


■その他
オープニング、白人ラジオDJを乗っ取る感じで放送を始めたのは、たぶん、高橋さん。
踊り出すと大塚さんが中心になることが多かったです。
デパートで、ヒューイがレコードをかけるとき、はじめに歌い出す、とっても甘い声の白人シンガーは石井さん。
ついで、歌い出すノリノリの黒人シンガーは大塚さん。
石井さんは、ばりばり素敵な声で、うっとりでした。
こういう声で一曲歌われるのを、一度聞いてみたいです。
大塚さんは、ここ以外でも、歌われる場面が多く、シンガーとダンサーと共にやっていらっしゃる感じでした。
2幕からは、黒人女性が一人増え、4人ずつでテレビに出演。
基本的に、黒人の皆様は、同じ役を通していらっしゃる感じ。
一方の白人の皆様は、デパートのお客だったり、ブラックミュージックを楽しむ子どもたちだったり、テレビクルーだったり。
石井さんは、歌手の後はラジオ局の偉い人を、とっても上から目線で演じていらっしゃったかと思うと、かわいい少年になったり、キュー出しのADさんになったり。
ヒューイやフェリシアの衣装を受け取ることが何度かあって、「上着受け取り係」と勝手に命名ですw

残念ながら、原さんの良いお声は聞き分けられず。
その他の元四季さんも、見分けられず残念でした。
…やっぱり女性を見分けるのは難しいです。


しかし、今回の「メンフィス」
本当に大満足の舞台でした。
歌はもう、こんなに重厚なコーラスを聴けることなんて無いかも。
「シスター・アクト」も良かったけど、こちらはそれ以上でした。

もう少し公演期間が長かったら、もう一回、東京へ行ったかもしれません。
福岡公演へ行こうかとも思いましたが、宿が既になくて。
あー、もう一回といわず、何回でもみたい。

マチネの後、「濱田さん、凄い進化でしょ?」と仰っていた人がいましたが、きっとどんどん進化していくのだと思います。
その進化の行き着くところを、見てみたい。
そう思わせてくれる舞台です。


もしも、再演があるなら、お願いですから、大阪にも来てください!(切実に)