「シャボン玉とんだ宇宙までとんだ」(2020/2/13マチネ)
10年ほど前に初めて観て、ちょっとレトロでそのくせポップで、でも重たいストーリーだなあと思った作品です。
今回、東宝で製作されると知って、絶対見たいと思っていました。
大阪での公演が短くて、東京まで行くには日程が合わなくて(一番忙しい時期でした)、 なんとかチケットが取れて行ってきました。
感想は・・・。
やっぱり、いいお話で、音楽もいいなあと。
主人公の悠介のへたれた感じと、奥にある強さ。
お佳代が素直になっているときのかわいらしさ。
三人の宇宙人たちが、佳代を思うやさしさ。
悠介とお佳代を祝福する人たちが、事件の後には手のひらを反すようにお佳代を否定するのは・・・。
お佳代と悠介と、二人を均等にみている観客(私)には酷いようにも感じるのですが、もし、自分の知り合いの男の子が同じ目に合ったら、きっと彼らと同じように言うだろうなあと思ったり。
どうしても、舞台設定が昭和すぎて、お佳代と両親(血のつながりはない)の設定が、バタ臭い感じはあり、さらにあの、べたべたの大阪弁がそれを強調している感じもあるのですが。
(正直、佳代の大阪弁は、くどすぎて、苦手。あんなしゃべり方する女の子、今どきの大阪にいるのか? あれは、大阪のおばちゃんでも強烈な方だと思う。)
(義父の喋りとか人間設定も、「なにわ金融道」とか、そういうドラマに出てくるような誇張されたレベルで、自然な大阪弁には感じられないのが苦手です)
携帯電話もない、インターネットもない、そんな時代だからこそのお話なのだと。
ある意味、時代物?
大阪の女の子だから、タカラヅカ・レビューの作曲をするという悠介に、キラキラした目を向けるのはわかる・・・けど、この辺も今どきの女の子に伝わる設定なのかな。
一方、お佳代が万引きやすり、盗みを両親から強要されていたこと、義父からの虐待などは、ようやく世間で認知されてきたことだといえるかもしれません。
昭和の時代だったら、「そういうお話」もある、だったかもしれませんが、今は、頻繁にあるわけではないかもしれないけれど、そういう被害にあっている子供たちは確実に存在しているという認識が一般的になってきたのではないでしょうか。
とはいえ、そういったことを法廷で言うには、まだまだ、しんどい時代だと思いますが。
(お佳代が、悠介にかなり早い段階で、過去の虐待の話をしているのは、強いなあと思いました。もちろん、あそこで話していなければ、後の展開も変わるので、物語的には必然なのですが。でも、普通は言えない。なのに、言えた佳代に、強さを感じると同時に、悠介を大切に思っている佳代の思いが見えた気がしました)
三人の宇宙人たちは、とってもドライな未来人・・・とも言えますが、人間とありんこくらいの差があるであろう佳代に対して、愛情をもって見守っていく姿が、おかしくもあり、いとしくもありました。
ちょっと話はそれますが、新井素子さん著の『・・・・・・絶句』を連想してしまいます。
『・・・・・・絶句』には、銀河連邦から地球周辺の監視(パトロール)役である、人間からするとはるかに格上の生命体が登場して、人間と関わるのです。その格の違いは、人間と蚊くらいの差。人間にぷちんと殺されてしまう蚊が、人間のすることに対し憤りを感じても人間にはちっとも伝わらないというか、「え?蚊がそんなこと思ってんの?」と思われてしまう程度に、格上の生命体と人間には彼我の差があるという設定。この感じが、三人の宇宙人とお佳代の格差に似ているなあと思っています。
話を戻して。
ちっちゃな格下の生命体の佳代を見守る(あくまでも見守る。彼らの科学力などを見るに、佳代の運命に介入することは決して無理ではないように思われるけれども、その一線は越えないところに、高位生命体の節度を感じる)宇宙人たちには、主人公たちとは違う意味で物語をひっぱる存在感がありました。
なかでも、土井裕子さん。
かわいくて、透明で、まっさらなんだけど、佳代への思いで少し人間臭くなって。
でも、やっぱり透明な美しさ。
(キクさんの時は、全く別人でそこも素晴らしい)
最終的に、悠介の笑顔に泣かされるのですが、全部、素晴らしかったです。
愛であふれた作品だったなあ。
キャスト
咲妃みゆ 折口佳代
畠中洋 テムキ/フジ
吉野圭吾 マスター
月影瞳 春江/ウメ
上原理生 早瀬/ゼス
仙名彩世 里美/レポーター
内藤大希 ミラ
北川理恵 和子
大月さゆ 寺尾/新聞屋
川口大地 田中/青年
横田剛基 中田/引っ越し屋
松田未莉亜 オリー/看守
早川一矢 刑事/記者
松野乃知 警官/郵便配達員
相川忍 お静/所長
井上一馬 小野源兵衛
藤咲みどり 清水
照井裕隆 久保
土井裕子 ピア/キク
原作 筒井広志『アルファ・ケンタウリからの客』
演出 小林香