「足跡姫」('17/2/24ソワレ)

プレミアムフライデーのこの日、午後から東京へ。
目的は、こちらです。


(画像は、翌日のお昼に撮りましたが)

東京芸術劇場
NODA・MAPを見に来ましたー!


足跡姫
時代錯誤冬幽霊(ときあやまってふゆのゆうれい)

作・演出 野田秀樹
NODA・MAP 第21回公演

††キャスト††
三、四代目出雲阿国 宮沢りえ
淋しがり屋サルワカ 妻夫木聡
死体/売れない幽霊小説家 古田新太
戯けもの 佐藤隆太
踊り子ヤワハダ 鈴木杏
万歳三唱太夫 池谷のぶえ
伊達の十役人 中村扇雀
腑分けもの 野田秀樹


観劇は、この日のソワレと、翌土曜日のマチネ。
先行予約で、申し込みました。
2回申し込めたので、両方当選しても良いように。
でも、土日は危ないから平日も含めて、申し込んだんですが、無事2回当選。

24日は1階M列上手サイド。
25日は2階B列センターブロック。

1階のほうが役者さんの熱をダイレクトに感じられる感があるし、通路も結構使うので、臨場感もあります。
でも、舞台全体を見るなら2階かなー。
そういうわけで、なかなか良い席をそれぞれいただけたかな。

さて、今回のお芝居は、第十八世中村勘三郎さんへのオマージュと題されていました。
どういう感じになるのかなあ?と思っていました。

以後、ネタバレとも言えるので、畳みます。




冒頭、太刀をふるう男性。
それと入れ替わる女性。

それぞれ面を着けているのでわかりませんが、男性は古田さん。
女性は宮沢さん(宮沢さんは途中で面をとって、阿国になりますが)。

禁止されている女歌舞伎のスター、出雲阿国
その弟、サルワカ。
腑分けをするために死体を買った「腑分けもの」。
サルワカが掘った穴から出てきた浪人たちのリーダー的存在「戯けもの」。
そして、「死体」であったはずなのに、生き返った?「売れない幽霊小説家」

時代は、江戸時代。
三、四代目将軍の時代。

阿国はサルワカに歌舞伎の台本を書かせる。
でも、その筋はちょっと高尚というか、哲学的というか…。
そのため売れない幽霊小説家がゴーストライターとして台本を書く。

「お魚くわえたドラ猫 追いかけて 裸で駆けていく陽気な仁左右衛門」

これが、売れない幽霊小説家の台本の冒頭なんですけど。
仁左右衛門って、やっぱりあの仁左右衛門さん?

この辺が勘三郎さんへのオマージュなん?


…等々、思いながら見ていたんですけども。


終幕に近づくにつれ、ど直球で勘三郎さんへの愛!というか、ラブレターというかが語られていました。


阿国とサルワカの母親がかかった病。
その病故に、舞台に立てなくなった母。
その母が言う「一番遠いところ」。
舞台に立てなくなった役者にとって一番遠いところは、舞台。

母の最後の言葉は、「い・い・あ・い」

母の音、母音でしか話せなくなった。

阿国は、子供だから、子の音、子音がわかった。
母の言葉は「しにたい」

でも、同じ母の子であるサルワカには、別の言葉に聞こえた。
「いきたい」

それは、「生きたい」であり「行きたい」でもあり。

母は「舞台に行きたい」と言ったのではないか。


阿国も死に、それでも、芸は残る。
足跡は、残る。

サルワカは、芝居小屋を開く。
猿若勘三郎と名のり、芸を継いでいく。


タイトルの「足跡姫」は、刀を作る職人集団で、たたらを踏んでいた女。
良質の刀を生みだすその集団を畏れた将軍は、彼らの腕を買い、腕を切り落とした。
その恨みで、将軍に復讐をしようとする足跡姫。


また、物語には由井正雪の乱も絡んでいる。
腑分けは…もうちょっと先のお話な気がするけど。


とにかく、いろんな物語が絡み合って入るんだけど、最後には先に書いたように、足跡を継いでいくお話になる。

で。
この辺りから、もう、泣けて泣けて。

舞台上には、桜が舞い散っている。

私が大坂で見た中村座は、ラストシーンで桜吹雪の中で、勘三郎さん(当時はまだ勘九郎さんだしたが)が踊っていました。
そのシーンと重なって、勘三郎さんを思い出さずにはいられない。

そこに重なるサルワカの台詞。

野田さんの、勘三郎さんへの思いがそのまま語られているとしか思えない。

勘三郎さんは、舞台へ帰りたかった。
帰りたくて、帰りたくて、でも、一番遠い場所だった。

勘三郎さんの思いは、みんなで継いでいく。
野田さんはもちろんだろうけど、劇場にいる、勘三郎さんを好きなみんなが継いでいく。
私も含めて。

その人は消えても、足跡は残る。

勧九郎さんや、七之介さんもこの舞台を御覧になったのかな。
ご覧になっていたら、どう思われたのかな。

そんなことも思いました。


プログラムに、古田新太さんが、説教臭くない作品、と書いていらっしゃいましたけど。
確かに、そういう説教臭さはなくて。

ただ、愛。
愛だけが、そこにある。

その愛が、あんまりまっすぐで、「カンザ、カンザ」と空間が叫んでいるような気がしました。

土曜日に見たときも、やっぱり泣いてしまいましたが。


なんだか、役者さんのすごさとかそういうの、ぶっとんでしまって、全部脚本に持って行かれた感じです。